2016年11月1日火曜日

二重標識水法 その2  同位体平衡

二重標識水法の原理を知るには、水と炭酸ガスの間で起きるO原子の同位体平衡を理解することが必要です。前回のブログでは、この平衡が速やかに進むことについて納得のゆく説明ができていないので、今回は同位体平衡の速度について議論をします。初めに、このブログを書くに当たって参考にした文献を掲げます。

9Mills GA, Urey HC: The kinetics of isotopic exchange between carbon dioxide, bicarbonate ion, carbonate ion and water, J. Am. Chem. Soc., 62, 1019–1026 (1940)

10. Frost A, Pearson R, “Kinetics and Mechanism, Second Edition”, John-Wiley & Sons, New York (1961) pp. 192-193

12.Itada N, Forster RE: Carbonic anhydrase activity in intact red blood cells measured with 18O exchange, J. Biol. Chem. 252, 3881-3890 (1977)


13. Silverman DN, Lindskog S: Catalytic mechanism of carbonic anhydrase: implication of a rate-limiting protolysis of water, Format: Acc. Chem. Res., 21, 30-36 (1988)

14a. Simonsson I, Jonsson BH, Lindskog S: A 13C nuclear magnetic resonance study of CO2/HCO-3 exchange catalyzed by human carbonic anhydrase I, Eur. J. Biochem., 129, 165-169 (1982) 

14b. Khalifah RG: The carbon dioxide hydration activity of carbonic anhydrase. I. Stop-flow kinetic studies on the native human isoenzymes B and C, J. Biol. Chem., 246, 2561-2573 (1971)

前回の二重標識水法の原理の説明で、①水と炭酸ガスの間でOの同位体平衡が起きることと、②二重標識水と体水分の間でO原子の交換が起きることを書きました。実は、測定原理を解説している参考文献(文献1-3)で、①については原理の前提として記載がありますが、②については言及がありません。二重標識水・体水分間でO原子の交換平衡が起きるのですが、このことが強調されないのは、二重標識水と体水分の間の混合が起きた結果と見かけ上変わりがないためかもしれません。ところで、①と②の事象が同時に起きるのは、次の平衡反応が速やかに進むからです。
CO + H2O   H2CO3  HCO3 + H+
その根拠をこれから説明してみます。

そもそも、O原子が二重標識水・体水分間で交換することを私が知ったのは、 Lifsonらの論文(文献6)に次のような記載があったからです。

  At a pH less than 8, the predominant reaction is the following.
                    k1
              CO + H2O   H2CO3           (2
    k2 
If either the carbon dioxide or the water initially contains all the labeled oxygen, by this reaction the isotope becomes distributed among all three reactants until the atom per cent 18O is the same in each, except as the process is influenced by fractionation effects”. For the present purposes, the exchange equilibrium may be represented as follows:
C16O 18O + H216 C16O 16O + H218O
Employing a value of 0.10 sec.l for the velocity constant, kl (H2O), of Reaction 2, uncatalyzed, at 38°and pH 7.4, one can calculate from the appropriate equation of Mills and Urey that 99 per cent of isotope equilibrium is reached in 138 seconds. However, the amounts of carbonic anhydrase in blood appear to be sufficient for exchange equilibrium to be achieved in a fraction of a second.

 このくだりで述べられているのは、次のようなことです。COH2Oのいずれか O原子がすべて18Oと仮定して、
CO + H2O   H2CO3・・・・反応式5
の反応によって、CO H2O H2CO3の三者の間で18Oの同位体比が等しくなること、そして、この同位体平衡(触媒の非存在下で)が99%まで進むのに要する時間が138秒で、カルボニックアンヒドラーゼ(炭酸脱水酵素)の存在する血液では1秒にも満たない間に平衡に達するということです。上記論文はMills Ureyの式から同位体平衡の速度を計算できるとありますが、Mills Ureyの論文(文献9)には式が多数あり、どのように計算されたのかはっきりしません。そこで、手持ちの反応速度論を扱った本(文献10)を調べてみて、「同位体交換反応」の解説をみつけました。さらに、ウェブ上にも参考になるサイト(文献11)を見つけました。勉強してみて理解した同位体交換反応の速度論に基づいて、問題の解答を試みます。

 先ず、最も単純な次の交換反応を考えます。
AX + BX* AX* + BX
ここで、Xは普通の同位体、X*は標識となる同位体です。[AX] + [AX*] = a[BX] + [BX*] = b[AX*] = xRAXの濃度がa , BXの濃度がbの場合の反応速度、平衡に達したときの[AX*]xとすると、平衡反応の進行した比率(x/x)と反応時間(t)との間に、次の関係式が得られます。
loge [1 (x/x) ] =  (R/ab)(a + b) t
この式を用いてCO  H2Oの間でOが同位体平衡に達する時間を計算してみます。AXCOBXH2Oとみなすと、a = 0.0012 M (血液中のCO濃度)b = 55.5 M (H2Oのモラー濃度)となります。CO + H2O  H2CO3 の2次反応速度をkとすると、R = kab =[CO] [H2O] です。Lifsonらの論文にあるk[H2O] = 0.1 s1とすると、これにa 即ち 0.0012 Mを乗じてR = 1.2 ×104 M s1となります。これらの値を使って x/x = 0.99とすれば、同位体平衡が99%まで進むのに要する時間を求めることができます。
loge [1 (x/x) ]  = 2.303×log10 (1 0.99) = 2.303×log10 0.01 = 4.606 となるので、上の式は、
4.606 = [ 1.2 ×104/ (0.0012 × 55.5)] (55.5 + 0.0012) t
これから、t = 46 sです。

反応式5の逆反応(H2CO3   CO + H2O)は、1次反応速度定数が50 s-1であり、COの水和反応CO + H2O H2CO3、擬1次反応速度定数[H2O] = 0.1 s1)より速やかですが、Oの交換速度に影響します。この反応ではH2CO3の3個のOの2個がCOOとなり、1個がH2OOとなるので、Oの交換の頻度は、H2OではCO1/2です。交換頻度の小さい過程によって Oの交換速度が決まる点を考慮すると、H2Oへの交換がH2CO3の生成反応3回につき1回起きるので、交換反応が平衡の99%に達するに要する時間は上で求めた46秒の3倍の138秒になります。

 ここまでの説明は、触媒の無い条件の反応についてです。血液中では、赤血球にカルボニックアンヒドラーゼが存在し、CO  H2O  との反応を劇的に促進します。触媒非存在下の反応速度に対する血球中の反応速度の比を、実験結果のコンピュータシミレーションによって求めた研究があります(文献12その実験は以下のようです。120 mM NaCl中に18Oで標識したNa HCO325 mMになるように溶解すると、反応式6の平衡反応によって18Oで標識された炭酸ガス(C18O16O)が生成します。そして、C18O16OH2Oとの間で起きるO原子の交換によって減少してゆきます。そこへ赤血球を懸濁させるとC18O16Oの減少が促進されます。このときのC18O16Oの減少の時間経過を調べ、コンピュータシミレーションによる解析がなされました。その結果によると、CO  H2O  との反応が酵素によって促進される比率は17,000倍でした。

 ところで、カルボニックアンヒドラーゼの触媒する反応は、反応機構に基づいて考えると、
CO + H2O   HCO3 + H+・・・反応式6
と表されます。逆反応の基質はHCO3で、触媒非存在下のH2CO3反応(H2CO3 CO + H2O が反応機構の過程に含まれません(文献13)。Oの同位体平衡を考えるうえで、反応式6の逆反応が律速にならないかを見てみます。ある論文(文献14a)に、pH 6.75の条件で正反応のkcat3.1×10s1逆反応のkcat4.1×10s1と示されており、逆反応は正反応より少し大きいので律速にならないと考えられます。したがって、正反応の速度を触媒非存在下の速度との比較に使うことができます。上記の17,000倍という値を使うと触媒非存在下で138秒だったので、血球中でのCOH2O間のOの交換平衡が99%に達するのに要する時間は、約1/100秒と予測されます。

血液全体での平衡を考えた場合、COHCO3の赤血球膜の透過がCOH2O間のOの交換平衡にどのように影響するかを検討する必要があります。肺や末梢組織におけるCOHCO3の赤血球膜透過の速やかさを考慮すると、膜透過はあまり影響がないと考えられます。なお、上記の議論では、CO H2Oとの非触媒的反応のk[H2O]  Lifsonらの論文(文献6)に従って0.1 s1として計算しましたが、当時より新しい測定ではもう少し大きい値(0.18 s1文献12)が得られています。この値によると、非触媒的な反応でCOH2O間のOの交換平衡が99%に達するまでの時間は77秒になります。体重60 kgの人では循環血液量(約5L)が1分間に循環系を一回りするので、末梢組織から肺まで達するのに大まかにみて30秒かかります。30秒では非触媒的な反応によってCOH2O間のOの交換平衡が十分進まないので、赤血球カルボニックアンヒドラーゼの重要性が認識されます。




 今回の話は、反応速度論が出てきて分かりにくかったかもしれません。カルボニックアンヒドラーゼの働きによって、組織で生じたCOが肺で呼気となって排出されるまでの間にH2OCOの間でO原子の同位体平衡が起きると同時に、二重標識水と体水分の間で酸素原子の交換が起きることの根拠を説明しました。本文で省きましたが、カルボニックアンヒドラーゼの酵素反応の諸定数を使って、赤血球中でのCO H2Oとの反応速度を見積もることができます。これを以下に付録として載せておきます。

付録

酵素反応速度論によると、酵素反応の触媒効率の尺度はkcat/Kmによって表されます。kcatは酵素の代謝回転数で、酵素1分子が1秒間に基質を生成物に変換する回数を示し、Kmは酵素のミハエリス定数です。基質濃度([S])がKmより十分低いと、酵素反応の速度は
v =kcat/Km[E]T[S]
となります。ここで、[E]Tは酵素の濃度です。

 この式を赤血球中のカルボニックアンヒドラーゼの反応に適用してみます。血液のCO濃度[S]1.2 ×10Mで、Km ×10M(文献14なので、上記の [S]Kmの条件をほぼ満たしています。kcat = 1.4 ×10s1(文献14bKm = ×10M ですから kcat/Km = 1.5 × 10M-1s-1となります。ただし、この値は25℃、pH > 8の条件のもので赤血球中の条件を反映しませんが、おおまかな計算のため、このkcat/Km を用いることにします。赤血球中では[E]T = 1×105 Mなので、kcat/Km[E]T = ~1.5 × 10s1となります。kcat/Km[E]Tは触媒非存在下の[H2O] (= 0.1 s1に対応するので、赤血球中の反応速度は~15,000倍になります。
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追記
文献引用に間違いがあったので修正しました。7/26/2018


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