二重標識水法(その4)において、グルコースの完全酸化の反応式を次のように表しました。
C6H12O6 + 8 H2O → 4 COO + 2 COO + 2 H2O + 16 H+ + 8 H+ + 24 e-・・・反応式11
CO2と H2OができるときC、H、Oの各原子がグルコースとH2Oのいずれに由来するかに着目して、この式ではグルコース由来のものを赤色、H2O由来のものを黒色で示しました。実は、この反応式は仮想的なものです。現実には、この通りの変化は起きないので、誤解がないように一言付け加えます。
初めに、説明の便宜のために、二重標識水法(その1)の図2と3を再掲します。
図2
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図3 |
そもそも、反応式11はCO2のO原子の由来に着目して導いいたものです。そのとき、クエン酸回路の反応で、アセチルCoAのアセチル基に由来するOをグルコース由来と記しました。しかし、これは、グルコースがピルビン酸に代謝される過程で、グルコースのOが溶媒のH2OのOと入れ替わるので厳密には正しくありません。ましてやアセチル基のHの由来はとても複雑です。そもそも、グルコースのOH基のHは溶媒のH2Oとの間でプロトン交換が起きます。さらに、グルコースのHとOは代謝経路の途中で溶媒のH2OのHとOと入れ替わるステップがあるため、反応経路中間体のHとOは元のグルコースの原子と同じとは限りません。そこで、経路の反応で基質が生成物に変わるとき、分子式の上で基質のHとOが生成物にとどまるものを「グルコース由来」とみなします。例えば、解糖系の反応2(グルコース6‐リン酸↔フルクトース6‐リン酸)で炭素骨格のHが部分的にH2Oとの間でプロトン交換をしますが、フルクトース6‐リン酸のHはすべて「グルコース由来」とします。反応5(ジヒドロキシアセトンリン酸↔グリセロアルデヒド3‐リン酸)でも同様なことが起きますが、両トリオースリン酸のHはすべて「グルコース由来」とします。また、反応9と反応10によって、3‐ホスフォグリセリン酸のC2のHがH2Oとして遊離し、ピルビン酸のC3に溶媒からH+が入ってメチル基 となりますが、このメチル基のHも「グルコース由来」とします。それ故、アセチルCoAのアセチル基は「グルコース由来」ということします。このような仮定の下に反応式11を見てください。グルコース(C6H12O6 )の水素と酸素だけから水ができることはありません。つまりH2O はできませんが、反応9で2‐ホスフォグリセリン酸の水素と酸素を使って水ができるので、これをH2O と表したと考えてください。
今回は、グルコースが代謝されるときにそのHとOが実際に溶媒H2OのHとOと交換する反応を調べてみます。参考にした文献を初めに掲げておきます。
20. Model P, Ponticorvo L, Rittenberg D:
Catalysis of an oxygen-exchange reaction of fructose 1,6-diphosphate and
fructose 1-phosphate with water by rabbit muscle aldolase, Biochemistry, 7,1339-1347(1968)
21. Lowe G, Pratt RF: Proton exchange of
the pro-S hydrogen at C-1 in dihydroxyacetone phosphate, D-fructose
1,6-bisphosphate and D-fructose 1-phosphate catalysed by rabbit-muscle
aldolase, Eur. J. Biochem., 66, 95-104 (1976)
22. O'Donoghue AC, Amyes TL, Richard JP:
Hydron transfer catalyzed by triosephosphate isomerase. Products of
isomerization of dihydroxyacetone phosphate in D2O, Biochemistry, 44, 2622-2631(2005)
23. Rose IA, O'Connell EL: Intramolecular
hydrogen transfer in the phosphoglucose isomerase reaction, J. Biol. Chem., 236, 3086-3092(1961)
24. Zhang BL, Yunianta, Martin ML: Site-specific
isotope fractionation in the characterization of biochemical mechanisms. The
glycolytic pathway, J. Bio.l Chem., 270, 16023-16029 (1995)
図11.アルドラーゼの反応。 H3N+-Eは活性部位にあるリシン残基のε‐アミノ基を、-OOC-Eは活性部位のグルタミン酸残基のγ‐カルボキシル基(解離型)を表す。-OOC-Eはエナミン中間体ができるときに遊離するH+を受け取ってHOOC-Eとなり、そのHが中間体の二重結合の炭素に結合する。電子対の移行を示す矢印の向きは右向きの反応に対応する。 http://www.chem.qmul.ac.uk/iubmb/enzyme/reaction/polysacc/41213.html を改変。 |
1.グルコースのOが交換する反応
解糖系の反応4(アルドラーゼの反応)の反応機構を図11に示します。まず基質フルクトース1,6‐ビスリン酸のケト基と活性部位リシン残基のε‐アミノ基の間で脱水が起き、シッフ塩基ができます。続いて生成するエナミン中間体のC3-C4結合が開裂すると、グリセロアルデヒド3‐リン酸が遊離して残った部分はジヒドロキシアセトンリン酸のシッフ塩基に変わります。このシッフ塩基が加水分解してジヒドロキシアセトンリン酸が遊離します。この一連過程でフルクトース1,6‐ビスリン酸のケト基のOが水のOと交換します。基質が生成物であるジヒドロキシアセトンリン酸およびグリセロアルデヒド3‐リン酸と共存して平衡状態にあると交換反応はより速やかに進むことが観測されています(文献20)。また、フルクトース1,6‐ビスリン酸やジヒドロキシアセトンリン酸のケト基のOは、自然に水のOと交換する性質があり、交換反応のt1/2は、前者が30分、後者が1分以下です(文献20)。したがって、反応5によってグリセロアルデヒド3‐リン酸のOH基のOもジヒドロキシアセトンリン酸のケト基のOに変わるので水のOと交換することになります。
2.「グルコース由来」のHが溶媒のH+と交換する反応
①反応4を触媒するアルドラーゼがジヒドロキシアセトンリン酸と溶媒のH2Oとの間で立体特異的にH+を交換する反応を触媒することが知られています。これは、ジヒドロキシアセトンリン酸と活性部位のリシン残基との間で作られるシッフ塩基が、エナミン中間体に変わるときに引き抜かれるH+(図11のHOOC-EのHとなる)が溶媒のH2Oと交換するためです(文献21)。
図12.グルコース6‐リン酸イソメラーゼとトリオースリン酸イソメラーゼの反応。ケト‐アルデヒド相互変換を触媒するのにグルタミン酸のγ‐カルボキシル基が使われる。図中のE-COO-は解離型、E-COOHは非解離型のカルボキシル基を表す。文献22の本文中にある反応式を改変。 |
②反応2(グルコース6‐リン酸とフルクトース6‐リン酸との間の異性化)と反応5(グリセロアルデヒド3‐リン酸とジヒドロキシアセトンリン酸との間の異性化)は、ともにアルデヒドとケトとの異性化反応で、図12に示すように、基質がエンジオール(解離型)中間体を経て生成物ができます。反応5の場合には、グリセロアルデヒド3‐リン酸は、C2のHがH+として引き抜かれて活性部位のグルタミン酸残基のカルボキシル基(解離型)に移り、エンジオール(解離型)中間体に変わります。カルボキシル基に移ったH+がエンジオール(解離型)中間体のC1位に移ってジヒドロキシアセトンリン酸が生成します。この反応の途中でカルボキシル基に移ったH+が部分的に溶媒のH+と部分的に交換することが、グリセロアルデヒド3‐リン酸をD2O中で酵素反応を行わせる実験で明らかにされています。文献22の実験条件では、交換の割合は約半分でした。似たことが反応2の場合にも起きます。
③アコニターゼが触媒する反応13には、H2Oの出入りが起ります。クエン酸の脱水によってシス‐アコニット酸ができ、この反応中間体の二重結合にH2Oが付加してイソクエン酸ができます。クエン酸のC2位とイソクエン酸のC3位の水素を同位体2Hや3Hで標識した化合物を用いた実験の結果から、図13に示すような反応が起きると考えられました(文献22)。C2位に3Hを持つクエン酸からイソクエン酸ができる反応では、シス‐アコニット酸ができるとき、クエン酸の脱水反応で3Hが活性部位の塩基に引き抜かれます。このとき生成する共役酸の解離は遅いため、共役酸から3Hが酵素に結合しているシス‐アコニット酸に付加されてC3位に3Hを持つイソクエン酸が生じます。つまり、クエン酸からイソクエン酸への反応で水素の分子内転移が起きます。一方、途中でシス‐アコニット酸が酵素から遊離すると、すでに蓄積していたシス‐アコニット酸が3Hを担った酵素に結合して、イソクエン酸を生成する反応が進みます。また、酵素の共役酸の3Hが溶媒のH+と交換してから、シス‐アコニット酸が酵素と反応すると、C3位にHを持つイソクエン酸ができます。なお、イソクエン酸C2位に18Oで標識した水酸基を持つ化合物を使った実験によって、生成するクエン酸に18Oが取り込まれないことが観察されました。
これらの反応以外に、グルコースの完全酸化の代謝経路には、明白にH2OやH+が中間体に取り込まれる反応があります。それらは二重標識水法(その1)の図2と3に示しています。
④反応6において Pi(HOPO32-)のO原子1個が1,3‐ビスホスホグリセリン酸のカルボキシル基のOとなり、ピルビン酸のカルボキシル基のOとなります。
⑤ 2‐ホスフォグリセリン酸がピルビン酸に変わる過程(反応9と反応10)において3‐ホスフォグリセリン酸のC2のHがH2Oとして遊離し、ホスフォエノールピルビン酸のC3に溶媒からH+が入ってピルビン酸のメチル基 となります((その1)の図2を参照)。
⑥ 反応12において シトリルCoAの加水分解で使われるH2OのO原子は、クエン酸のカルボキシル基に入ります。しかし、H原子はCoASHのHとH+となり、中間体には取り込まれません。
⑦ 反応14においては、イソクエン酸が先ずNAD+によって脱水素されて反応中間体オキサロコハク酸が生成し、次に中央炭素に結合するカルボキシル基がCO2として遊離します。その結果できたエノール(解離型)中間体の中央の炭素原子にH+が結合してα‐ケトグルタル酸ができます。
⑧ 反応17と18が進行すると、コハク酸の炭素骨格から2原子のHがコハク酸脱水素酵素(反応17)によって除かれ、フマラーゼ(反応18)によってフマル酸にH2O 由来のHとOHが結合してリンゴ酸ができます((その1)の図3を参照)。
ところで、(その1)の図3には、H+が反応11と15において反応途中で入ることが示されています。このH+は、二重標識水法(その3)の図6に示すように、炭素骨格に結合せず、最終的にNAD+の還元にかかわります。
以上述べたように、グルコースが代謝されるときに、溶媒H2Oの原子と交換する反応がたくさんあって、元のグルコースの原子の多くが、最終的にH2O とCO2ができるときには溶媒H2Oと交換していることになります。酵母によるエタノール発酵を調べた研究では、エタノールのメチル基の水素の約50%が水に由来するという結論でした(文献24)。したがって、反応式11は、単純化しすぎた表現であるとのそしりをまぬかれませんが、解糖系でH2Oが2分子生成することを包含させたかったのです。
今回は、二重標識水法(その4)で述べたことが正確でなかった点を繕いました。同時に、グルコースが代謝されるときにグルコースと溶媒H2Oの間で起きる原子の交換について述べました。アルドラーゼ、イソメラーゼおよびアコニターゼの反応については、簡略な反応機構の図示にとどめ、酵素の三次元構造に基づいた詳細な説明は割愛しました。関心のある方には、次のウェブサイトの記事が役立つと思います。
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