1.二重標識水法と私
私が二重標識水法を知ったのは、管理栄養士養成校に勤めるようになった平成20年のことです。その年に応用栄養学の国家試験対策を担当したのがきかっけで、二重標識水法が国家試験に出題されることを知りました。そこで、応用栄養学の教科書を見てみると、この方法の記載があり、さらに数式を使った解説も香川靖雄著「やさしい栄養学」(女子栄養大学出版部)で見つけました。二重標識水法では、2Hと18Oを自然界の水より多く含む水(二重標識水)を飲んだのち、体内の水分の2Hと18Oそれぞれの減少率を測り、18Oの減少率と2Hの減少率の差から炭酸ガス産生量を求めます。18Oと2Hとで減少率に差が出るのは、熱量素、即ち糖質、脂質およびたんぱく質が体内で完全に酸化分解されてH2OとCO2に変わるからですが、2Hと18OがH2OとCO2にどのように取り込まれて体外に排出されるかについて、栄養学の教科書には記載がありませんでした。
そこで、二重標識水法について調べるとともに、生化学の教育に長年携わった経験を活かして、グルコースの完全酸化について再考してみました。そして、18OによってH2Oの代謝を追跡すると、体内のH2Oの O原子は別のH2O分子のO原子と比較的速やかに交換するために、18Oが摂取した水、代謝できた水、体内にあった水すべてに一様に分布すると言う帰結になることを知りました。これによって、二重標識水法の原理をわだかまりなく理解できました。この体験には、唖然とすると同時に感動しました。化学反応に着目する生化学だけでは説明のつかないことが、全身の統合を重視する生理学的アプローチで疑問の解決ができたからです。ところで、二重標識水法の理解には、熱量素の代謝経路の詳細は必要ありませんが、その経路においてH2Oが直接反応しながら代謝が進行することが、私には関心事です。そこで、隠居の暇に飽かせて、グルコースの完全酸化の個々の反応について生化学の教科書や文献を調べて、H2OとH+に着目した考察を試みました。その結果、HとOの出入りを明確に記入した、グルコースの代謝経路の図を完成することができました。この図がエネルギー代謝の理解に役立つことを期待します。
初めに、このブログを書くに当たって参考にした文献を掲げます。
1.
Lifson N, Gordon GB, McClintock R: Measurement of total carbon dioxide
production by means of D2O18, J. Appl. Physiol., 7, 704-710
(1955)
2.
Speakman JR: The history and theory of the doubly labeled water technique, Am. J. Clin. Nutr., 68, 932S-938S (1998)
3.
Schoeller DA : Measurement of energy expenditure in free-living humans by using
doubly labeled water, J. Nutr., 118, 1278-89 (1988)
4.
齊藤 愼一, 海老根 直之, 島田
美恵子, 吉武 裕, 田中
宏暁: 二重標識水法によるエネルギー消費量測定の原理とその応用 生活習慣病対策からトップスポーツ選手の栄養処方まで, 栄養学雑誌, 57, 317-332 (1999)
5.
Weir JB: New methods for calculating metabolic rate with special reference to
protein metabolism, J. Physiol., 109, 1-9 (1949)
6.
Lifson N, Gordon GB, Visscher MB, NierAO:
The fate of utilized molecular oxygen and the source of the oxygen of
respiratory carbon dioxide, studied with the aid of heavy oxygen, J. Biol. Chem., 180, 803-811 (1949)
7.Horiike K, Miura R, Isida T, Nozaki
M: Stoichiometry of the water molecules
in glucose oxidation revisited: Inorganic phosphate plays a unique role as water
in substrate-level phosphorylation,
Biochemical Education, 24, 17-20
(1996)
8.Mego J:
The role of water in glycolysis, Biochemical
Education, 14,130-131 (1986)
2.二重標識水法とは (文献1‐4)
二重標識水法は、水を構成する水素の安定同位体(2H)と酸素の安定同位体(18O)を使った、エネルギー消費量の測定方法です。通常の水は、大部分1H と16Oとから構成されますが、2Hが0.015%そして18Oが0.2%含まれます。二重標識水法では、2H と18Oを通常の水より多く含む水を被験者に飲んでもらいます。体内に入った二重標識水は、6時間ほどで体内の水と混ざって均一に分布します。体内の水分の18Oの量が250 ppm、2Hの量が 50 ppmくらい増えるような量の二重標識水を飲むことになっています。その後通常の水を摂取して生活すると、2Hは水分の体外排出で失われるだけですが、18Oは水分排出に加えて呼気からCO2としても排出されるので、体内の18Oの減少率は2Hの減少率より大きくなります(図1)。実際上は、それぞれの減少率を18O/16O比と2H/1H比の減少率で表します。尿の水分を同位体比質量分析計で測定し、18O/16O比と2H/1H比の減少の経過を、約2週間にわたり調べます。
図1. 体水分中の安定同位体濃度の減少の模式図。二重標識水を飲んだあとに18O/16O比と2H/1H比が飲む前の値から増加した分(Δ同位体比)の自然対数を取って縦軸に、時間経過を横軸にプロットしたグラフを示す。Δ同位体比の減少が直線で表される。上の線が2H/1H比の、下の線が18O/16O比の推移を示す。十分な時間が経った後の、両直線の縦軸の値の差からCO2の産生量を計算することができる。 |
次に、体内の18Oの減少率と2Hの減少率を使って、CO2の排出量をどのように求めるかを説明しましょう。先ず、二重標識水が体内の水と混ざって均一に分布した時点以降の18Oと2Hの行方を追跡します。均一に分布した時点までに、二重標識水の18Oと2Hは体内にあった水分子全体に一様に移行して平衡に達します。体内の水と混ざって均一に分布と言うのは、単なる混合ではありません。その後、摂取されたり代謝でできたりしたH2Oも随時同位体平衡に達します。このようなH2O
の体外排出に伴って、体水分の18Oと2Hが時間経過とともに減少して行きます。さらに、水O原子の同位体平衡と同時に、体液中のCO2も随時H2Oとの間でO原子を交換して同位体平衡の状態になります。そして、そのCO2の体外排出によっても体内水分の18Oが減少します。二重標識水が体内でこのような運命をたどるとすると、一定時間の後の18Oと2Hの減少率を知ればCO2の産生量を次のように計算することができます。
水の排出量(rH2O)は、体内水分量(N)と2Hの減少率(kH)の積で求められます。
水の排出量(rH2O)は、体内水分量(N)と2Hの減少率(kH)の積で求められます。
rH2O = N kH
また、Nと18Oの減少率(kO)の積は、Oの体内損失から見た体水分の減少量に等しく、水分排出と呼気からのCO2排出によって体内から失われた水の量に相当します。このときの水分排出量はrH2O に等しいはずです。排出されたCO2の産生のために減った体水分の量(CO2の産生量に相当)をrCO2とすると、次の関係式が成り立ちます。
rH2O +2rCO2 = N kO
水のOがCO2に取り込まれるという視点から、rCO2が2倍されています。OがCO2には2原子、H2Oには1原子含まれるからです。上の二つの式の両辺をそれぞれ引き算して整理すると、rCO2を求めることができます。
rCO2 = N(kO
-kH)/2
なお、体内水分量Nは、初めに二重標識水が体内で薄まって均一に分布したときの希釈率から求めることができます。
CO2産生量から酸素消費量を求めるには、呼吸商を知る必要がありますが、これは測定期間中に摂取した食事の糖質、脂質およびたんぱく質の比率から計算します。そして、1日あたりの総エネルギー消費量が、Weirの間接熱量測定の式(文献5)から求められます。この式では、総エネルギー消費量を酸素消費量、CO2産生量および尿中窒素排泄量の関数で表しますが、通常の食事では、たんぱく質のエネルギー比率は約1/8で、総エネルギー消費量に対するたんぱく質の寄与がわずかなので、簡略化した次の式が使われます。
総エネルギー消費量(kcal)=3.9×酸素摂取量 + 1.1×CO2産生量
ここで、酸素消費量とCO2産生量の単位はリットルです。
測定原理から分かるように、定期的に尿を採取するだけで測定試料が得られるので、拘束を受けずに生活をしている人のエネルギー消費量を求めることができるのが二重標識水法の利点です。しかし、高価な質量分析計を用いることと、二重標識水が高価なことが難点です。
3.エネルギー代謝と水
初めに、エネルギー代謝と水との関わりを、グルコースの好気的酸化について見ておきます。我われの体で起きるグルコースの完全酸化もるつぼで燃焼させる場合も、同じ化学反応式で表されます。
C6H12O6
+6O2 → 6 CO2+ 6 H2O ・・・反応式1
ただし、るつぼの反応と違い、我われの体内では、O2は直接グルコースと反応しません。生化学の教科書(「ヴォート基礎生化学」(東京化学同人))には、グルコースの好気的酸化を概括的に把握するのに便利な記載があるので、それをベースにして説明しましょう。グルコースの好気的酸化は、形式的に二つの反応に分けられます。まず、グルコースの炭素原子をCO2に酸化する反応が進行します。
C6H12O6
+ 6 H2O → 6 CO2 + 24 H+ + 24 e- ・・・反応式2
グルコースがH2O と反応して、CO2を生成する過程でH原子(H・= H+ + e-)が取り出されます。このときH2OのO原子がCO2に移行します。この反応は、解糖系とクエン酸サイクルで起きます。続いて起きるのは、O2分子を還元してH2Oを生成する反応です。
6 O2 + 24 H+ +
24 e- → 12 H2O ・・・反応式3
この反応は、ミトコンドリアの電子伝達系によって行われ、ATP合成のためのエネルギーが取り出されます。反応式2でH2Oが6分子使われ、反応式3で12分子できるので、正味6分子のH2Oが生成します。
グルコースの好気的酸化においては、反応式2の過程でH2OのO原子1個がCO2に取り込まれますが、反応式3から分かるように、生成するH2OのO原子はすべてO2分子由来なので、H2Oからは取り込まれません。H2Oがこのまま体外に排出されるのであれば、二重標識水法の原理では18Oの水分排出による減少を前提とするので矛盾が生じます。しかし、体内ではO2からできたH2Oの O原子はCO2を介して間接的に別のH2O分子のO原子と交換します。なぜかと言うと、CO2が組織で生成したのち呼気で体外に出るまでの間に、CO2と体内のH2O(新たに代謝でできた水も摂取した水も含めて)の間でカルボニックアンヒドラーセが触媒する次の反応が起きるからです。
CO2 + H2O ⇌ H2CO3
この反応によって、CO2と H2Oの間で18O原子の交換が起き、CO2と H2Oの18O/16O比が同じになるまで進みます。
C16O 18O + H216O
⇌
C16O 16O + H218O
実際に、このようなことが起きることがマウスを用いた実験で明らかにされています(文献6)。二重標識水法では、このようにCO2とH2O
の18O/16O比が同じになった状態で、体外へ排出されることが前提になっているのです。また、二重標識水の2H もカルボニックアンヒドラーセによる反応で別のH2O分子のHと交換して、体内の水全体に行き渡って平衡に達します。
ところで、上記の二重標識水法の理論式(rCO2 = N(kO
-kH)/2)が成り立つには、つぎの仮定が必要です。
(1)摂取した安定同位体は体内でH2OまたはCO2にのみ存在し、他の体成分に移行しない。
(2)液体の水と水蒸気の間で2H/1H比および18O/16O比が同じである。また、CO2と H2O(液体)の間で18O/16O比が同じである。
しかし、仮定(1)は、Hがたんぱく質へ取り込まれ、Oが骨の無機質に取り込まれるので、厳密には正しくありません。18Oの希釈率から求まる容積は体水分量Nより1%大きく、2Hの希釈率から求まる容積は4%大きい値になります。仮定(2)については、2H/1H比および18O/16O比が液体の水より水蒸気で小さく、18O/16O比はCO2の方がH2Oより大きくなります。これらの点に対して補正したCO2産生量(rCO2)を求める式が作られています(文献3)。
rCO2 = (N/2.076)(1.01kO
-1.04kH) - 0.0246×1.05×N(1.01kO
-1.04kH)
ここで、18Oと2Hの希釈率から求まる容積をそれぞれNOとNHとすると、体水分量Nは、
N = (NO/1.01 + NH/1.04)/2
となります。
4.グルコースの好気的酸化と水
これから先は、生化学の話です。まず、グルコースの完全酸化の代謝経路で、電子伝達系の前までの化学変化を取り上げます。これは、上記の形式的な反応式2に相当する代謝で、代謝経路を構成する化学反応の詳細を、図2と図3に示します。これらの図の化学反応の流れでは、H2OとH+の出入りを正確に記し、かつ、これから先の説明の助けになるように配慮しました。それでは、図2と図3に示した代謝をH2Oとの関わりを念頭に置いて説明して行きましょう。この代謝は、①解糖系(グルコースから2分子のピルビン酸ができる過程)、②ピルビン酸の酸化的脱炭酸、そして③クエン酸サイクルの流れで進行します。生化学の教科書「ストライヤー 生化学」(東京化学同人)には、反応前後のH+の出入りが正しく記されているので、この教科書に従って、①~③の過程のバランス式(反応に使われる分子と反応でできてくる分子の個数を示した反応式)を示します。
過程①
グルコース + 2 Pi + 2 ADP + 2
NAD+ →
2 ピルビン酸 + 2 ATP + 2 NADH + 2
H+ + 2 H2O
・・・反応式4
過程②
ピルビン酸+ CoA + NAD+
→ アセチルCoA + CO2 + NADH ・・・反応式5
過程③
アセチルCoA + 3 NAD+
+ FAD + GDP + Pi + 2 H2O →
2 CO2 + 3 NADH + FADH2
+ GTP + 2 H+ + CoA
・・・反応式6
反応は中性の溶液中で行われるので、ピルビン酸はカルボキシル基が解離している状態で、リン酸(Pi)はHOPO32-のイオン型です。
次に、グルコースの完全酸化のバランス式を求めてみます。過程①~③のバランス式は、グルコース1分子からピルビン酸2分子ができるので、②と③の式の両辺を2倍した上で、三つの式の各辺を足し合わせて、次のようになります。
グルコース + 4 Pi + 2 ADP +2 GDP
+ 10 NAD+ + 2 FAD + 2 H2O →
6 CO2 + 10 NADH + 2 FADH2
+ 2 ATP + 2 GTP + 6 H+
・・・反応式7
この反応式7は、形式的に表した反応式2に対応するので、両者が同等であることを確認しましょう。反応式2の左辺では、6 H2Oがグルコースと反応しますが、反応式7の左辺は2H2Oです。実は、この式の4 Piが4H2Oに相当します(文献7, 8)。その理由は、Piを供給する反応は、主としてATPの加水分解ですが、この反応でH2Oの消費が起きるからです(文献8)。
ATP + H2O → ADP + Pi +
H+ ・・・反応式8
次に、形式的な反応式2で生成する24 H+ + 24
e-は、実際の化学変化に則して表すと10 NADH + 2 FADH2
+ 10 H+に相当するはずです。ところが、反応式7では10 H+であるべきところが6 H+で、4 H+足りません。実は、反応式7の左辺の4 Piを生成するための4 ATPの加水分解によって4 H+が生成するので(反応式8)、この4 H+が不足分を埋め合わせます。
ところで、グルコースの好気的酸化では、反応式7でできた10 NADHと2 FADH2 がO2と反応してH2Oを生成します。
10 NADH + 2
FADH2 + 10 H+ + 6 O2 → 10
NAD+ + 2 FAD + 12 H2O
・・・反応式9
次に、反応式8の両辺を4倍した式を反応式7と反応式9と足し合わせます。GTPおよびGDPはそれぞれATPおよびADPと同じとみなせるので、結果は反応式1に帰結します。グルコースの好気的酸化では、反応式9で得られるエネルギーは通常ATP合成に用いられますが、上述の説明では、簡単のためにこの過程を含めていません。いわば、脱共役状態で熱エネルギーの放出が起きる反応に対応したものです。
今回の記事をまとめるに当たって、「二重標識水法と私」の所で述べたように、化学反応に着目する生化学の知識だけでは、全身で起きていることが見えないことがあることを痛感しました。二重標識水法をきちんと勉強する前には、二重標識水を用いるのは熱量素の完全酸化の過程で水が取り込まれる反応があるためと思っていたのですが、これだけでは正しくないことに気づいてびっくりしました。熱量素の完全酸化によって水と炭酸ガスができる事実が大切な事でした。まるで手品を見ているようで、二重標識水の行方を熱量素の酸化反応に目を向けていたら、視野にない所で水分子間でも水と炭酸ガスの間でも同位体交換が起きていたというのが種明かしでした。
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